FC2ブログ

平成の「琉球処分」にするな

4月5日(日)

 菅義偉官房長官が沖縄を訪問、翁長雄志知事と普天間飛行場の辺野古移設問題で初めて会談した。
 ようやく、安倍政権がこの問題で沖縄側と話し合う気になったのか、という感じがしないわけでもないが、政権の本音は、今月下旬の安倍首相の訪米に向けて、日米同盟関係のトゲのような普天間問題に少しばかり前進を装う、米政権向けのアリバイづくりと言って間違いない。これまで聞く耳を全く持たない対応を示してきた官房長官が、一転、自ら沖縄入りして知事との会談を求める豹変ぶりは異様でさえある。
 5日の話し合いは、菅氏が型通り辺野古移設は在沖縄米海兵隊基地の抑止力、さらには日米両政府の長年にわたる努力の末の合意であることを縷々説明、「普天間の危険性除去を考えたときに唯一の解決策だ」と理解を求めた。これに対し、知事は沖縄基地の歴史的経緯を手短に話したうえで「辺野古は建設できないとの確信を持つ。(計画の)頓挫で起こる事態は政府の責任だ」と強調する一方、菅氏が何度も語る「(工事は)粛々と進める」という言葉に、「自治は神話だ」と言い放った第3代の高等弁務官、ポール・キャラウェイ中将の姿が重なると反論した。1時間にわたった会談は平行線のまま終わったが、知事の攻めが目立つ初顔合わせだった。


続きを読む

危機的な状況迎えた沖縄-(つづき)

4月27日(日)

  講演の中で注目されたのは、沖縄返還交渉の日米密約文書を発掘して沖縄返還の実像を明らかにした琉球大学教授の我部政明だ。

 我部は本土と沖縄の関係について「国家なき民族」を例に、復帰後の沖縄は日本人としての「普遍性」を求められ、琉球以来の歴史や伝統、文化といった「独自性」「特殊性」はないがしろにされたと指摘。
 さらに「私たちは日本人なのか、日本人なら『公平』に扱ってほしい」と、安全保障上の問題として沖縄の過重な負担と国民的な関心の薄さを批判した。
 「日米安保は沖縄抜きに考えられない。しかし、復帰は沖縄を少数に置いた。少数はどんなに反対しても(日本全体の)多数に負ける」と我部は語った。

 政治的に見ると、沖縄の基地反対運動は全国レベルでは「少数派」となってしまい、この状態が今でも続いている。普天間飛行場の辺野古移設についての世論調査が、県内では7割近い反対があるにもかかわらず、全国踏査では「賛成」「やむをえない」が逆転する現実が、それを証明している。
 県民意識と国民意識の落差は、国や本土の人たちの意識に「当事者意識」が欠けているからだ。

 我部は「当事者意識」について、尖閣問題を例に次のように語った。
 「(尖閣海域で日中間の衝突の)危険が差し迫っているのに本土の人たちは自分たちの問題として考えていない。自ら行動しようとない」「私たちは日本人ではないのですか」

 同じ日本人でありながら、基地問題では少数派の沖縄の訴えが見向きもされない現実をどうすればいいのか。見向きもされないどころか、基地問題の深刻さを言うと、多額の経済振興予算をもらうための方便と片付けられたのでは、安全保障の重圧をひとり負わされ苦しむ沖縄は救われない。
 等しく国の施策の恩恵を享受できないようでは、「国家なき民族」に等しいとなる。当事者意識のなさ、無関心に気づかない無意識の差別は構造的と言っていいかもしれない。

 歴代政権は基地問題に向かい合うと、決まって「沖縄の苦労に思いをいたし寄り沿う。頭越しには決めない」と語る。沖縄戦という筆舌に尽くせない経験に対しての「償い」という言葉が政治的には近年あまり聞かれなくなった。
 安倍首相の一存で昨年4月28日開催された「主権回復の日」式典は、1952(昭和27)年のこの日、サンフランシスコ平和条約が発効、日本が独立した。安倍はこの日を日本再生のスタートと位置付け、天皇、皇后両陛下の臨席の下に開催した。
 だがこの日は、沖縄が日本から切り離され以後27年に及んだ米軍政が始まった「屈辱の日」である。式典は沖縄側の猛反発に遭い、両陛下臨席の式典とはおよそ縁遠いまま終わった。今年は開かれなかった。
 「主権回復の日」式典は、政権がどう取り繕うとも、「多数」が「少数」の心を斟酌しない典型と言える。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍の歴史観のスタートだったのだが、不評に終わった。

 講演に立ったもう一人、「沖縄ノート」の著者でノーベル賞作家の大江健三郎は、シンポジウムのタイトル「沖縄の問いにどう応えるか」について「私たちはもう問いかけられてはいないのではないか」と語った。
 「問いかける」は、本土に住む我々が沖縄の「今」を慮って時折口にする。「私たちは心配しているよ」というアリバイづくりの言葉なのかもしれない。

 鳩山政権の「普天間は最低でも県外移設」の約束を〝見事〟なまでに裏切られた沖縄の国を見る目は、オスプレイの強行配備が加わって修復不能なまでの亀裂を生じさせた。政権交代でも「普天間問題は不変」、つまり政治的には普天間の辺野古移設は「オール日本」の考えだったということだ。

 県内全市町村長・議長らが自筆署名した「オスプレイ配備反対・撤去」の建議書が国に出されたのは昨年1月だ。そして県民にとって冷や水を浴びせるように出てきたのが、前述の「主権回復の日」式典である。
 建議書で思い出すのは、1972年の沖縄返還直前に当時の琉球政府主席の屋良朝苗が首相の佐藤栄作に「復帰に際しての配慮」を願って提出した建議書があった。
 
 「多数」が推し進めることに「少数」の沖縄が対抗するには、少数が分裂していたのでは話にならない。それで保守、革新の壁を乗り越えた胎動が始まった。「オール日本」に対しては「オール沖縄」、の図式だ。
 だがこの「オール沖縄」は、政権・与党の強力な工作で昨年暮れにほころびが表れた。自民党幹事長の石破茂による県選出国会議員や自民県連への圧力が奏功、知事の仲井真弘多が国の辺野古移設の埋め立て申請を容認する。
 沖縄はいま、11月の知事選に向けた、かつてない政治の季節を迎えている。辺野古埋め立て容認で県民の不信を買った仲井真県政の足元はおぼつかない。自民県連の亀裂、公明党の動向は埋め立て作業の先行きを占う。工事の準備作業は始まっているが、工事着手がスムーズに始まる保証はない。
 しかし、県内政界の揺れを見透かしたように、政権は沖縄・与那国島に監視部隊配備の着工を始め、中国を念頭に置いた島嶼防衛計画は具体的に動き出している。

 シンポジウムの発言者の1人で琉球大教授の島袋純は専門の行政学の視点から沖縄の現状を、これまでの経緯を紐解きながら「自己決定権」の必要性を強調した。そして、「沖縄には未来を築き、拓く権利がある。そのために『島ぐるみ闘争』の原点に立ち返ってオール沖縄の再構築に努めている」と熱く語った。

危機的な状況を迎えた沖縄

4月27日(日)

 「沖縄の問いにどう応えるか―北東アジアの平和と普天間・辺野古問題」
 と銘打ったシンポジウムが26日、東京・市ヶ谷の法政大学で開かれた。

 国の安全保障という身近な問題でありながら、どうも私たち本土に住む多くの者には沖縄県民が直面する基地問題は、「他人事」「はるか遠い亜熱帯の島」の問題としか映らないようだ。

 「未亡人製造機」と酷評され、その危険性を問われている米軍の垂直離着陸機オスプレイの普天間強行配備、尖閣諸島の領有権問題でいつ火を噴くかもしれない日中関係。そして志半ばだった戦後レジームからの脱却に再挑戦する安倍政権は今、集団的自衛権行使にまい進する。
 こうした、日米安保の要となる沖縄を否応なく巻き込んだ状況は、かつてないほど緊迫している。
 地政学的にその存在感を強制される沖縄は数日前の日米首脳会談で、より一層緊張を高めるアジア情勢への前線として位置付けられた。

 シンポジウムは日米首脳会談の熱気が残る中で開かれたが、論議の焦点はわが国の安全保障の大半を担わされる沖縄の「歴史的」「構造的」な差別をいかになくすか、そのために我々は何をなすべきかだった。

シンポジウムのポイントを私感を交えながら報告する。                  (つづく)

沖縄の現実を直視しよう

3月15日(金)

 今日の朝日新聞朝刊の「声」欄に、「激戦地沖縄と思いを共有したい」とする投稿を読んだ。
 新潟市在住で、退職記念の旅先に沖縄を選んだという投稿氏(63歳)は奥さんを説いて糸満市の魂魄の塔と宜野湾市の嘉数高台を訪ねた。魂魄の塔は民間人を含めた3万数千人の遺骨を埋葬した、こんもりとした墓地で「ひめゆりの塔」に近い。
 嘉数高台は、沖縄本島西海岸に上陸した米軍と日本軍が激戦を展開した場所だ。いわゆる「嘉数高地の戦い」と戦史に記録される。
 眼下に現在の米軍普天間飛行場が、その先にサンゴ礁のきれいな海を見ることができる。
 高台頂上のそれほど広くない広場の隅に「京都の塔」が建っている。
 投稿氏夫妻が慰霊塔に献花、瞑目していると、その時を切り裂くように米軍機が頭上を飛び去った。眼下の普天間飛行場の滑走路には、沖縄県民が蛇蝎のごとく嫌う米海兵隊の新型輸送機オスプレイの一群が翼を休めていたという。
 投稿氏はその光景に「沖縄の復帰から40年を超え、なお米軍が占拠し続ける現実があった」と書いている。そして氏は最後に、「普天間の県外移設は困難とする安倍首相に強く反発する沖縄の叫びに耳を傾け、思いを共有したいと心に刻んだ」と記している。
 
 1972(昭和47)年の本土復帰に取材記者の1人として沖縄で立ち合い、その後も沖縄問題に深くかかわり合った者として、私は少しも本質的な解決がなされていない沖縄基地問題の難しさ、複雑さを痛感している。
 沖縄は観光地として見違えるような変貌を遂げた。空港、道路、港湾などの社会資本は見事に整備され、復帰前後の光景を思い出させるものは何もない。
 その表面的には大都市、典型的な観光・リゾート地となった沖縄の県民は今、普天間飛行場の県外移設を、それこそ「島ぐるみ」で求めている。県民はもはや、「経済振興」という名のアメに踊らされることはなくなった。狭い島に在日米軍の74%が集中する現実を、県民は明確に「差別」と言い出している。
 
 朝日新聞の「声」に投稿した氏の沖縄とのかかわりは分からないが、沖縄問題の原点を指摘したものとして読ませてもらった。
 私事で恐縮だが、自身の取材体験を基に普天間問題の原点を検証した。拙著「運命の島 オキナワ」~幸せは珊瑚礁の彼方に~(文芸社)を昨年11月刊行した。ご一読いただければ幸いです。

運命の島 オキナワ

沖縄の「真実」を著しました

9月30日(日)
 米海兵隊の最新の垂直離着陸機オスプレイの沖縄配備が目前に迫った。大型台風の接近で配備日程を先延ばししたが、今週中に現在の岩国基地(山口県)から沖縄・普天間飛行場に移転されるだろう。配備が実現すれば沖縄基地問題、とりわけ普天間飛行場の辺野古移設が一段と緊迫化することは間違いない。
 こうした状況を見ながら私は、自分の「沖縄取材」の過去をたどりながら普天間問題の原点を検証した「運命の島オキナワ」(副題)=幸せは珊瑚礁の彼方に=(文芸社=東京・新宿区、定価・1400円+税)の刊行にたどり着いたことを、このブログを読まれる方々にお知らせする機会を持ったことを喜んでいます。
 刊行は編集者の手際いい作業で、予定より早く終わました。全国の提携書店での発売は10月下旬とのことで、書店にない場合は文芸社(電話03-5369-3060=代表)にお問い合わせください。

 沖縄問題を取り上げる時、基本的な問題として「今、なぜ沖縄なのか?」という問いにぶつかります。ながながと説明することはしませんが、私が拙著を書こうと思い立ったのは、昨年の3・11大震災をきっかけにした福島第一原発事故が沖縄の基地問題と同じ構造だと思いついたからです。
 つまり原発による恩恵を受ける人たちと、原発が立地する町や村に住み日常的にその危険と不安に向き合う人たちの想いが交わることはありませんでした。それが事故をきっかけに、「豊かさ」「便利さ」と「不安」「危険」が対局にある現実を知らしめました。安心や豊かさには、それを支える危険と不安があるという事実です。
 普天間問題に象徴される沖縄の基地問題はまさしく同じです。日米同盟が保障する日本の安全・安心・豊かさは、在日米軍専用基地の74%が集中する沖縄があればこそ成り立っているわけです。その沖縄で県民が米軍基地があるゆえのどれほど多くの基地被害に遭っていることを忘れてはなりません。
 米兵による暴行、殺人などの凶悪事件や米軍機の墜落などの事件事故の多発に、本土に住む人たちにあまり大きな関心を払うことはありませんでした。
 拙著の中心となる普天間移設問題は1996年の日米両首脳による合意で動き出しましたが、その後様々な政治的事情で揺れ動き今日に至っています。ただ忘れてならないのは、基地問題の原点は沖縄の本土復帰、さらには普天間の辺野古移設を引き出した2000年の沖縄サミットにあるという事実です。
 私は40年前の沖縄返還の現場に立会いました。当時の混沌とした政治、社会状況、住民生活を目の当たりにしました。復帰後も「沖縄」を取材の優先課題として向き合ってきました。その体験と取材で得た多くの情報を基に拙著を私小説風にまとめました。登場人物は仮名ですが、実在した各界のリーダーたちです。
 是非、ご一読されますようお願いします。

沖縄の「真実」を著しました

 
プロフィール

gatayann

Author:gatayann
尾形宣夫。
ジャーナリスト。世の中の様々な出来事を簡潔な言葉でまとめた日記です。タイトルは肩ひじ張らずに「ありのまま記」としました。

訪問者、大歓迎です→
社会・経済ランキング

本Webは私の2本のブログに続くものです。HPはhttp://bit.ly/hxZoUw、オフィシャルサイトはhttp://futenma.dtiblog.comです。あわせてお目通しをお願いします。

☆「運命の島 オキナワ」=副題「幸せは珊瑚礁の彼方に」(文芸社)
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%BE%E5%BD%A2-%E5%AE%A3%E5%A4%AB/e/B009PAT28C

1942年宮城県生まれ。
1967年中央大学法学部卒業。
共同通信編集委員室編集長・論説委員、編集委員室次長・論説委員を経て2002年11月定年退社。元共同通信社客員論説委員。
日本自治学会理事。政策情報誌元編集長。分権型政策制度研究センター(RCD)委員。
分権ジャーナリスト会(東京)。神奈川県鎌倉市在住。





(2011年8月10日~)


最新記事
リンク
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
普天間飛行場の辺野古移設
最新記事
最新コメント
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
検索